新しい学校教育相談の在り方と進め方

 おわりに


 この本は,前任校の埼玉県立川口青陵高校,現任校の越谷東高校で,教育相談係の先生方とともに取り組んできた十数年間にわたる実践を土台にして書かれています。執筆したのは私ですが,ここに書かれていることはすべて,「私の実践」ではなく,「私たちの実践」であることをまずご理解ください。
 
 私たちは,普通の高校で,普通の教師が,授業も担任も部活動も担当しながら,また,研究指定を受けたり,授業時間の特別な軽減などもなく,ごく普通に校務分掌の一つとして教育相談に取り組んできました。ですから,『これは本当はやった方がいいんだろうな』『やってみたい』『効果はあるだろう』と思うような事柄や技法でも,『普通の学校で,普通の教師がやる学校教育相談の活動としては,突出しすぎているのではないか』と感じるものは,あえてやらなかったり取り入れてきませんでした。“普通の学校での,普通の教師による,普通の実践”にこだわってきたということです。ですから,この本には,ある意味では突出した実践は何一つ書かれていません。それは,多少年数はかかるけれども,どこの学校でも,学校規模や校種,特徴などによって実践形態には差はあっても,この程度の実践は可能であることを意味しています。

 こう書くと,「そうは言っても,実際にはむずかしい」という声が聞こえてきそうです。それは,半分頷けますが,半分は「そうでもないですよ」と言いたくなる自分がいます。というのは,ここに書いたような活動をしていくためには,基盤として管理職や教職員の理解をえることが必要になるわけですが,この本で紹介したようなシステムや実践が,紆余曲折はあったとはいえ学校で展開されているという事実は,おそらく多くの教職員や学校は,その必要性を少なからず認識しているという事実を示唆していると思うのです。そして,そうだとすれば,あとは係がどのような教育相談活動と体制を提供するかにかかっているのだと思います。

 もちろんそのためには,時間と努力と理解者が必要です。また,毎年相当数の職員の入れ替えがありますから,システムができあがったら終わりというわけにもいきません。教職員の理解を維持し続ける努力や実践を通じて係への信頼を向上させること,システムを機能させ続けることなどが必要です。そのためには,相談係がチームを組み,喜びや苦しみを共有しながら協働の体験を積み上げ,共に成長していくことが,基盤として必要であると思います。そうした取り組みを続けていくときに,少しずつではあれ理解者は増え,係が機能する学校が増え,日本に学校教育相談が根付くのではないかと思います。

 振り返ってみれば,十数年前,教育相談に関わっていることだけでネガティブな視線を向けられるような時代がありました。それを考えると,今日の学校カウンセリングに対する社会的関心や期待は,私にとっては驚きですらあります。当時と比べて,係としての活動は格段にやりやすくなってきています。学校教育相談にとっては,順風の時代がやってきたとも言えるでしょう。しかし,それは,成果を上げられなければ言い訳のできない状況におかれていることをも意味しています。学校教育相談は,その真価を問われる時代になった,私たちの正念場がやってきたということです。

 本書を書くに当たり,何人かの方々に格別なご協力をいただきました。同僚の川俣邦彦教諭にはグループ面談の部分について多大な協力をいただきました。また,春日部高校の田中將之教諭には,いったん書き上がった原稿に目を通していただき,私が見落としていた点を指摘していただきました。また,ほんの森出版の佐藤敏氏にも内容のブレや用語の不統一な部分などをご指摘いただきました。心から御礼申し上げます。また,学校教育相談の実践にともに取り組んできた「同志」である先生方,理解と協力を示してくださった同僚や管理職に,心から感謝します。
 この本が学校教育相談に係わっている多くの方々の参考になり,学校教育相談の発展に多少なりとも資することができれば,望外の喜びです。

 2002年6月22日           
栗原慎二

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